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兵庫県北部、円山川が日本海へそそぎコウノトリが舞う但馬地方。この地には奈良時代から続き江戸時代にかけて発展した杞柳産業を基盤に、柳行李〜ファイバー鞄と時代とともに鞄産業が発展し、昭和10年頃には当地の主産業となりました。
大戦後は、牛皮、塩化ビニール、合成皮革と、新しい技術とともに素材、製造機械ともに進化し、鞄のみならず各種容器、輸送容器など、日本経済の高度成長を支える重要な役割を担い、現代においても国内を代表する鞄生産地として、素材開発、デザイン開発、異業種との交流による新製品開発など、その進化はとどまるところがありません。
市域の約8割を森林が占め、山陰海岸、神鍋のスキー場、城崎温泉を擁し、コウノトリが舞う風光明媚な街です。人口約9万人
JRと北近畿タンゴ鉄道の玄関口。大阪から特急で2時間半。のどかな田園風景に到着です
豊岡にはたくさんの鞄職人がいます。各々が専門の分野を担当し、長い年月に渡り同じ作業を黙々と続けています。金具の研磨、メッキ、鞄の縫製、内装の縫製、皮革の縫製、木枠の製造、焼印押印など、それらの職人が揃ってはじめて鞄が出来上がります。
一人の熟練職人がいても鞄は出来ません、豊岡全体で大きな一つの鞄工場なのです。そして、それぞれの職人が日々研鑽し、失敗を重ねた大きな時間の上に、今の豊岡鞄「匠乃トランク」が産まれます。
今生天皇の御外遊用トランクと製作に携わった職人衆
工場の一角、大きな蔵の隣にあるほこら。
作業の安全、鞄産業の繁栄、そして作られた鞄を使う人々が幸せになるよう、願いをこめます。
革を鋤くための機械
長年使い込まれ、よく手入れされた機械は、職人の手先に忠実に反応する。
これも一人前の職人なのである。
道具、目、耳、手先の感触と職人の感。これらを駆使して作業が進められる。そこにあるのは「最高の作業をする」という職人であるがゆえの魂。
60項目が書かれた「確認書」
工程ごとに確認を行ない、仕様ミスや不良品の発生を防ぎます。
『父のトランク』 オルハン・パムク著
ノーベル文学賞受賞講演
父のトランク
亡くなる二年前に、父は自分の書いたものや、メモや、ノートの詰まった小さなトランクをわたしのところに持ってきました。いつものふざけた、皮肉な調子で、後で、つまり自分の死後、それらを読んで欲しいとあっさり言いました。
「ちょっと見てくれ」とやや恥ずかしそうに、「何か役にたちそうなものがあるかもしれない、その中に。もしかしたら死後、お前が選んで出版しても」と。
わたしたちはわたしの仕事場で、本の間にいました。
父は、彼を苦しめる特別な重荷から救われたがっているかのように、トランクをどこに置こうかと、わたしの仕事場を見回していました。それから手に持っていたものを目立たない片隅に、そっと置きました。
ともに気恥ずかしく感じていたこの忘れ難い瞬間が終わるや否や、二人ともいつもの自分たちに戻り、人生を軽く受け取る、ふざけた、皮肉な人間に戻って、ほっとしました。いつものようにいろいろなことを、人生やら、尽きることのないトルコの政治問題やら、たいていは失敗に終わった父の仕事のことなどを、あまり深刻にならずに話しました。
父が帰った後で、わたしはトランクの周りを何度か行ったりきたりしましたが、トランクには手を触れなかったのを覚えています。
小さな、黒い革のトランクを、その錠を、丸っこい角を、はるか子どもの頃から知っていました。父は、短い旅行に出かける時とか、時には家から仕事場に何かを運ぶ時、それを持っていきました。子どもの頃、この小さなトランクを開けて、旅行から戻った父の品物をかき混ぜて、中から出てくるオーデコロンや外国の匂いが気に入ったのを思い出します。
このトランクは、わたしにとって、過ぎ去った過去や、子ども時代の思い出の多くがこもっている、よく知っている、魅力ある品物でしたが、そのときはそれに触れることさえできませんでした。
どうしてか?
もちろんのこと、それはトランクの中にある、隠された、神秘的な重さゆえです。
今、この重さについて話そうと思います。・・・・
2007年株式会社藤原書店発行 和久井路子訳
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